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「時分の花を誠の花と知る心が真実の花になほ遠ざかる心なりけり」(世阿弥)

名言再訪(3)一過性の成功で有頂天になるな

能楽の聖典とされる世阿弥の「風姿花伝」の一節である。

ここでいう「時分の花」とは年齢とともに表れ、盛りが過ぎると散ってしまう花。これに対して「誠の花」は稽古と工夫によって初めて咲く花のこと。

風姿花伝は能の奥義を極めた世阿弥の芸術論だが、人生万般の処世訓として読んでも示唆に富む。

ここに掲げた言葉も「時分の花」をその時々の一過性の成功、「誠の花」をそうした成功を超越した経営の真髄と読めば、そのまま企業経営に当てはまる。一過性の成功で有頂天になることを戒めているのである。

そういえばこんな言葉もある。「たとひ、一子たりと云ふとも、不器量の者には傳ふべからず」。芸の道も企業も「不器量の者」に跡を継がせてはいけない。不器量な後継者がラスベガスの博打で大損を出し、祖父と父親が築き上げた企業を危うくさせた最近の例を思い出す。

風姿花伝にはまたこんな言葉もある。「上手は下手の手本。下手は上手の手本」。上手は下手の手本は分かるとして、下手は上手の手本とはどういうことか。

世阿弥によれば、上手にも必ず悪いところがあり、下手にも良いところがあるという。それなのに、上手は慢心し、下手から学ぶところはないと決めつけ精進の妨げとしているという。

経営者の中にもちょっとした成功を鼻にかけ学ぶ姿勢を失ってしまった例を時々、見かける。世阿弥は自分の芸には花があると慢心している者を「田舎の花・藪梅などの徒に咲き匂はんが如し」と戒めている。

世阿弥といえば、「初心を忘るべからず」、「秘すれば花、秘せねば花なるべからず」などの言葉が有名で、いまも人口に膾炙しているが、風姿花伝はまさに名言の宝庫。六百年余を隔ててなお、現代の企業経営にそのまま通じる言葉を残しているのに驚く。

(小山博之)

『経営倫理フォーラム』第20号掲載


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