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トップページ > 経営倫理情報 > AROUND経営倫理 > 名言再訪(第14回)

「むかしにもどることが出来ないとすれば、その空白感は何かべつのもので、それも言えば新しい暮らしと習慣で埋めて行くしかないことも理解出来た」(藤沢周平「三屋清左衛門残日録」)

名言再訪(14) 定年後をどう生きるか

定年後をいかに生きるべきかを考えさせられる作品である。舞台は作者の生地である山形県の庄内藩を模して設定されたと覚しきお馴染みの海坂(うなさか)藩。主人公は家老に次ぐ要職である用人(ようにん)にまで出世し、いまは引退の身の三屋清左衛門。52歳だからいまではまだ壮年だが、当時ではすでに老人。

引退した当初は「世間と、これまでにくらべてややひかえめながらまだまだ対等につき合うつもりでいたのに、世間の方が突然に清左衛門を隔ててしまった」と感じる。だから「解放感とはまさに逆の、世間から隔絶されてしまったような自閉的な感情に襲われる」。

このあたり、定年後の悠々自適の生活を夢見ていたのに、空疎で味気ない現実に当惑する現代のサラリーマンの姿と似ている。ではどうしたらいいか。委縮する気持ちを払いのけるために清左衛門がしたことは何十年ぶりかに道場通いを再開し、子供たちに交じって塾で経書を読むことである。

老いての鍛練と勉学。いまでも有効な処方箋だろう。清左衛門はそうして絶えず世事に関心を寄せつつ、飄然としてことを処するのである。隠居の身ゆえに修羅場からは一定の距離を保ちながら、しかし決して現実の傍観者にはならない。

清左衛門は3年前に女房に先立たれ、息子夫婦と孫の4人暮らし。嫁は気配りのできる優しい女だが、やはり嫁には遠慮がある。「女房が生きていてくれたらもっとわがままが言えたのに」と思う。そんな清左衛門に時々通う小料理屋の女将がひそかに好意を寄せている。

雪の日、酔いつぶれて泊まり込んだ清左衛門のふとんに女将が忍びこんでくる 。

「つめたい風が顔の上を吹き過ぎたと思うと襖がしまるかすかな音がし、やがて床の中にあたたかくて重いものが入り込んできた。あたたかくて重いものは、やわらかく清左衛門にからみつき、そのままひっそりと寄りそっている。とてもいい匂いがした。―― 夢に違いない。と清左衛門は思い、また眠りに落ちた」

人生の大仕事を終えた後の生き方を模索する普遍的な人間像が適度なリリシズムを交えてくっきりと描かれている。

(小山博之)

『経営倫理フォーラム』第31号掲載


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